2014年6月2日月曜日

裁判事、忌避の大合唱を!

除斥申立事件特別抗告に対する決定を待たずに判決日を5日後に決めようとしたので忌避請求もしました。
全ての行政事件裁判担当判事に対しての忌避理由としましょう。
全国の裁判所で忌避の大合唱を!

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  平成26528
平成25年(行ウ)第6号 公務談合損失補填請求事件
原告 岩崎 信
被告 延岡市長 首藤 正治
宮崎地方裁判所民事第1部合議係
原告  岩崎 信


忌 避 申 立 書

頭書事件の担当裁判官について、裁判の公正を妨げるべき事情があるので、民事訴訟法第24条の規定により、忌避の裁判を求める。

1.    忌避申立の趣旨
      内藤裕之判事に対する忌避は正当な理由がある。
との裁判を求める。

2.    申立の理由
1.  申立人は,頭書事件の原告であり,頭書事件は,内藤裕之裁判官がその審理を担当しているところ,同裁判官は,頭書事件の被告行政機関を含む全行政機関の代理人又は補佐人であった経歴を有する者であるから,民訴法23条1項5号により,頭書事件の職務の執行から排除されるべきである。

同判事は、平成94月から123月まで、広島法務局訟務部付検事、平成184月から213月まで東京法務局訟務部付検事であった。國及び地方公共団体等のあらゆる行政庁の立場を弁護する代理人又は補佐人を務めていた。
このような経歴を有することは、裁判官と事件との関係からみて、偏頗不公平な裁判がされるであろうとの懸念を、当事者及び一般国民に起こさせるに足りる客観的な事情があり、裁判の公正を妨げるべき事情があると言える。
この懸念は、原告のみの懸念ではなく、社会通念上、不特定多数の者によって一般的に抱かれている懸念であると言える。(4)

裁判所の所属なのか、行政庁の所属かわからない裁判官が裁判をするのでは、行政庁に有利な裁判をすることは明らかです。
判検交流下の行政訴訟は、厳密に言えば、裁判とはいえない裁判です。
昨日まで国側代理人を務めていた検事上がりの裁判官が国側の利益に従うのは見やすい道理です。
その結果、訴訟の門前払いが横行することになります。
「裁判が日本を変える」127 弁護士 生田暉雄(元裁判官)  (4)

司法制度改革推進本部事務局ホームページに掲載された行政訴訟検討会の議事概要でも次の通り、判検交流は、公平感覚に反するとみなされている。社会通念上当然の評価である。国民の多数意見である。

行政訴訟検討会における意見の概要(第5回検討会まで)
 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/kentoukai/gyouseisosyou/dai6/6siryou2.pdf
【判検交流】
○訟務を担当した者が判事として復帰する形の判検交流は、公平感覚に反する。(第2回:芝池委員)
○自分自身、川崎公害訴訟とか日本を代表するような公害訴訟の控訴審にも証人に出たが、気になるのは訟務検事がなぜその場に出てくるのかということだ。国側は別途弁護人を使うべきであって、判事がそこに来て、自分のような丸腰の者に反対尋問するのは疑問を感じた。(第3回:環境行政改革フォーラム)
○判検交流を廃止すべきだ。また、指定代理人制度の廃止も必要だ。(第4回:日本弁護士連合会)

 三権分立。しかし、現実には、「判検交流」(裁判官と検事の間の人事交流)→ 仲間意識、
裁判官が検察に異動して検察官を務め、逆に、検察官が裁判所に異動して裁判官を務める。
国家賠償訴訟や行政訴訟で住民側がめったに勝利しないのは、この判検交流に原因があると主張する者も多い。   2010年度 「法学入門」 8回(100607 立教大学 法学部教授 舟田 正之
http://cl.rikkyo.ac.jp/law/2010/2010/06/09/100607%E3%80%80%E7%AC%AC8%E5%9B%9E%E3%83%AC%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%A1.doc

l  人事交流が投げかける影
 原発の安全性をめぐっては1973年に始まった伊方原発(愛媛県)訴訟以来、建設中止などを求める住民らによって、数々の裁判が提起されてきた。しかし、住民側の勝訴は2例しかない。ほとんどの訴訟で裁判所は、行政の判断を支持してきた。
 なぜ司法は原発をチェックできなかったのか。本書は、行政側勝訴の判決に共通する論理構造を解き明かし、司法の責任を追及する。
 著者が着目した問題点の一つに、裁判所と法務省の人事交流がある。これによって法務官僚(訟務検事)に任用された裁判官が、原発訴訟で国側代理人を務めて「原発は安全だ」と主張する。そうした人物が元の裁判官に戻った後、原発の安全性を公正、公平に判断できるのか。人事交流が原発訴訟に「深刻な影を投げかけてきた」と著者は実名をあげて指摘する
 裁判所は誰のために存在するのか。原発事故は根本的な問いを突きつけた。裁判所は本書にどう応えるだろうか。
「司法よ! おまえにも罪がある」 []新藤宗幸
朝日新聞デジタルの書評 http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013012000018.html

1989年秋に日弁連司法問題対策委員会が弁護士登録をしている元裁判官364名に対して行ったアンケート調査によれば、判検交流については、
()「判検交流は裁判の公正らしさに対する国民の信頼を傷つける」(賛成50%、反対29.2%)()「判検交流は裁判官の行政・検察へのチェック機能を減退させる」(賛成43.4%、反対34O%) となっており、全体的に交流制度に批判的な意見が支配的である。
 【裁判官の専門性と独立性(一)-西ドイツの実務と比較して- 北大法学論集, 40(5-6 1459): 301-328 1990-08-31

『訟務検事経験者である裁判官が担当した国を当事者とする訴訟において「国寄りと思われる判決、例えば長良川・墨俣水害訴訟、岩手靖国訴訟等の判決が目立ち始めていることは事実である」。この交流は「秘密裏にとは言わないまでも、主権者たる国民の眼が余り届かないところで行われているやに見受けられ、このままでは無用の誤解や疑惑を招きかねない」。この種の弊害が際だったために、交流制度の存在自体について批判的な見解が相当に広がってきている。交流の現実的結果からみての反対論も強い。ある弁護士は、「偏頗な判・検事交流によってもたらされた司法の行政、捜査に対する緊張感の欠知」が裁判所のチェック機能の欠知をもたらしている、とする。日弁連も意見書を提出し、また各地の弁護士会でも批判が噴出している。』 (1458)

『【グラフ①】に見られるように、行政事件訴訟の統計は、1970年噴を境にして認容率と却下率が入れ替わることに示されるように、ドラスティックな変化を示している。戦前のプロイセン・ドイツの行政裁判所や日本の行政裁判所が「われわれの漠然とイメージする以上に《裁判所的》な性格を有する存在であった」のと比較して、今日の日本の裁判所が裁判官の独立性を失って「われわれの漠然とイメージする以上に」 行政機関になっているかもしれないのである。



判検交流経験者が担当した裁判の内容や協議会開催後の裁判の内容について、なにがしかの悪影響のあることが広く語られていること自体に、裁判の威信ないし尊厳の襲損を認めることができよう。このような国民の不信感の中にすでに、「独立の裁判官」による「裁判を受ける権利」 の侵害の一表現をみることも可能であろう。』(1445)

『日本における裁判官と検察官の人事交流、すなわちいわゆる判検交流は1974年にいわゆる「逆戻り」の保障についての最高裁と法務省との合意が行われて以来いっそう本格化した。』 (1444)

法務大臣によれば、平成244月の人事から、裁判官と検事の間で癒着しているのではないかというような声があることや、公正らしさというものを保つ必要があるという観点から、検察官と裁判官との判検交流は廃止されている。刑事部門のみの廃止であり、民事行政部門ではまだ廃止されていない。(法務大臣閣議後記者会見の概要 平成24年5月8日(火)http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00289.html)

訟務検事とは要するに、企業内弁護士と同じである。(5) 一企業の社内弁護士として6年間あらゆる種類の事件の弁護活動を担当し、その企業組織と喜憂を共にした後、裁判官に任官したような場合、その会社が当事者である事件の裁判を担当することができるとは考えられない。身内と同じである。家族と同じである。同居の親族と同じである。配偶者と同じである。共同権利者、共同義務者である。利益共同体と同じである。民訴法23条の除斥理由1号、及び2号に該当する。
また、当事者の後見人、後見監督人、保佐人、保佐監督人、補助人又は補助監督人にも相当するから、3号にも該当する。いつでも行政機関の弁護のために駆りだされる運命にある人物である。
内藤裕之判事は過去に2回訟務検事として派遣されており、将来いつなんどき訟務検事として再び三度行政機関に派遣されるかわからない立場である。そのような立場にある判事が派遣先の行政機関の利益に反する公正な裁判をすることができると考えることは不可能である。

企業内弁護士と同様に、行政機関の内部で3年ずつ、6年間弁護活動に専念していた裁判官が、裁判所に戻って、当事者が行政機関である事件の裁判を担当することは、健全な公正感覚を損なうものである。国民に対する信義則違反である。民法1条違反である。民訴法2条違反である。憲法31条、32条違反である。公正裁判請求権の侵害である。憲法763項違反である。

例えば、Aという会社の法務部長を弁護士として十年務めてきました、そういう人が弁護士任官で裁判官になりましたと。たまたま訴訟が起こったら、そのAという会社が被告なり原告なりですという裁判をこの裁判官にされたら、やはり反対側当事者としては、それは立場が変わったんだから、
第一この事件そのものにはかかわっていないんだからいいじゃないですかと言われたって、それは違うんじゃないという話になりませんか。(5号証2)

そのとおりである。「当事者の代理人又は補佐人であるとき、又はあったとき」が満たされるだけで除斥及び忌避理由として十分である。


2.  憲法32条、31違反である。公正適正裁判手続請求権の侵害があった。
平成251224日付原告「第1回口頭弁論調書異議」で述べられているように、調書に不正な記述及び記載漏れがあるにもかかわらず、判事による追認があったことは、不正である。
3.  原告は、平成251224日付、第1回口頭弁論調書異議を提出し、その中で、除斥申立をしているが、看過されている。その点について、第2回口頭弁論において、全く言及されることなく、結審を宣して、退出した。民訴法232項規定の除斥の裁判がなされていない。26条の訴訟手続の停止もなされていない。法の適正手続きに反する、違法な訴訟進行であった。1224日に除斥申立がなされた後の結審、弁論終結は違法であり、無効である。判決日の指定も無効であった。にもかかわらず、判決を強行しようとしたことは不公正である。
4.  憲法32条、31違反である。公正適正裁判手続請求権の侵害があった。
民訴法121条の規定による、平成2637日付、書記官の処分不作為に係る異議申立について決定がなされないまま、328日に判決がなされようとしていたことは、適正手続違反である。
当事者の民訴法第91条調書閲覧権、160条口頭弁論調書の記載についての異議申立権を奪ったまま判決を強行しようとすることは、裁判の適正手続違反である。憲法32条、31条違反である。
再度、原告の合意のないまま、判決日が4日後の530日に指定されたことは適正手続違反である。
平成251224日に除斥申立がなされた後の結審、弁論終結は違法であり、無効であるにもかかわらず、判決日が指定されたことは適正手続違反である。
5.  憲法32条、31条違反である。
除斥申立事件(平成26年(行ク)第3) に関する特別抗告、及び抗告許可申立が提起されており、裁判が完了していないにもかかわらず、本案訴訟を進行させ、正式に弁論の終結手続きをしないまま、4日後に判決日を指定したことは、特別抗告、及び抗告許可申立の意義をなくすことであり、適正手続違反である。公正裁判請求権の侵害である。何のための特別抗告なのかわからなくなる。特別抗告が棄却されなかった場合の効果を無に帰するものである。信義則違反である。論理則違反の訴訟進行である。善良なる管理者の注意義務違反である。公序良俗違反である。
6.  民訴法2311に該当する。「当事者と共同権利者、共同義務者の関係にあるとき。」に該当する。行政機関に雇用され、行政機関に報酬をもらい、行政機関の利害弁護人であったこと、明日にでも行政機関の弁護人に任命されうるということは、行政機関の共同権利者の関係にあるということができる。
7.  憲法32条、市民的政治的権理国際規約第14違反である。独立公平な裁判所における公正迅速な裁判請求権の侵害である。信義則違反である。民法1条、民訴法2条違反である。
訟務検事経験者でない裁判官が多数存在するにも関わらず、あえて訟務検事兼裁判官を行政事件の裁判長とすることは、国民に対する信義則違反である。国民の除斥及び忌避請求権が無条件に認められるべきである。普通の国民であれば訟務検事が裁判長となることを望むものはいない。
8.  憲法31違反である。適正手続保障義務違反である。良心ある裁判所は、行政機関を勝たせるために訟務検事を裁判官として送り込むようなことはできない。
デュー・プロセス、適正手続保障は、仮に現実的偏見が一切認められない場合であっても,その危険が存在するならば、なお裁判官の回避を要求するものである。

市民的政治的権理国際規約141  すべての者は、裁判所の前に平等とする。すべての者は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権理及び義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権理を有する。

9.  民法90条、公序良俗違反である。公平な裁判所としての客観的な公正らしさを保つことは民主主義法治国家の公序良俗である。訟務検事兼裁判官を行政事件の裁判長として担当させることは公序良俗違反である。
10.憲法763項、22条違反である。裁判所法第48条違反である。
内藤裕之判事の経歴を見れば、3年毎に転地を繰り返しており、自己の自由意志による転任ではないことが明らかである。大阪地裁、宮崎地裁、広島訟務検事、東京地裁、裁判所職員研修所教官、東京訟務検事、大阪地裁、宮崎地裁と、法務省の職員、あるいは軍人のように、上司の異動命令に忠実に従っている。行政公務員のようである。裁判所、法務省が一体となって人事異動を行っている。
判事、訟務検事、判事、研修所教官、訟務検事、判事と転職を繰り返している。判事の身分が上位命令により犯されている。職業選択の自由の侵害である。憲法22条違反である。
個人の自由な意志による転職、転所と言えるためには、移転先の職席が一般公募されていたこと、及び、本人が自ら応募したこと、複数の応募者の中から公正に選抜されたこと、という条件が満たされなければならないが、そのような公募が実施された事実はない。上意下達命令によるものである。特定の一人に対してのみ、特定の職席に転職する機会を与えることは、判事の独立を犯すものである。 特定の一人に対してのみ優遇し、あるいは劣遇し、特定の職席に転職転地することを要求することは、優劣の評価をする者に対する従属を強いることとなり、判事の独立を犯すものである。
独立侵犯である。裁判所法第48条違反である。

裁判所法第48条(身分の保障) 裁判官は、公の弾劾又は国民の審査に関する法律による場合及び別に法律で定めるところにより心身の故障のために職務を執ることができないと裁判された場合を除いては、その意思に反して、免官、転官、転所、職務の停止又は報酬の減額をされることはない。

憲法763「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。」という規定に反して、独立が侵されている。
あたかも判事には基本的人権はないかのようである。

憲法22居住・移転の自由が侵されている。移転の自由は移転しない自由を含み、居住の自由は自己の望む地で居住を維持継続する自由を含むものである。
判事自身に独立した自由な人間としての基本的自由、憲法上の基本的人権が保障されていないのであれば、国民の自由を守ることはできない。自由のない者には、自由の尊さがわからない。自由を知らない者には、他人の自由の侵害を慮ることができない。
自分自身の基本的人権を防御できないということは、国民としての自由権理保持義務違反、判事の憲法擁護義務、憲法12条、99条違反である。「裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」
11.憲法99条違反である。判事の憲法擁護義務違反である。
内藤裕之判事は、自分の基本的人権を防御できていない。3年毎の転任により、居住・移転の自由を侵されている。九州、四国、近畿、関東、九州と無造作に飛ばされている。
自主的な転勤でないことは明らかである。自分の基本的人権を尊重できていないということは、憲法を尊重擁護できていないということである。自分の基本的人権を守れない者には他人の自由、国民の基本的人権を守ることはできない。(6)
12.憲法12条違反である。判事の、国民としての基本的人権の保持義務違反である。判事は判事である前に、国民である。反復的な強制移住、強制免職、強制転職に素直に応じるような国民は憲法12条、99条違反であり、判事に任ぜられる者としてふさわしくない。判事に任ぜられる資格のない者が裁判を行うことは不公正である。

憲法第12  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない

13.内藤裕之判事に以上のような、強制移住、強制免職、強制転職を命じ、それに応じることを認めることも、憲法763項、22条、99条、12条、裁判所法第48条違反である。
欧米民主主義国では、裁判官の独立を犯すことが明白な、同様の人事制度はないことを見ても、異常であることは明らかである。
国民の公正な裁判を請求する権理を奪うものである。憲法32条、市民的政治的権理国際規約第14条違反である。
国内の裁判所において救済されない場合には、国連人権理事会(HRC)に通報されるべき大規模かつ一貫性のある人権侵害問題である。

14.以上のとおり、公正な裁判が妨げられており、正当なる忌避及び除斥理由となる。

日本弁護士連合会の意見書 抜粋
http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai48/pdfs/48bessi2_4.pdf
(ウ) 諸外国の状況
法曹一元制度をとる英米では、同一審級の裁判所裁判官の報酬は原則同一となっている。他の裁判所へ応募して採用されれば、その報酬に変わるだけである。キャリア制度をとるドイツでも、一般裁判官には年齢による昇給があるだけで、大きな区別は所長や副所長などのポストと連動する。そして、それらのポストは応募制になっている。フランスにおいても、同一の等級(grade)及び群(group)の内部においては勤続年数に応じて自動的に昇給することになっている。このように、法曹一元制度をとる英米のみならず、キャリア制度をとる独仏においても、裁判官の報酬は裁量によって操作される余地のないものになっている。ノルウェーにおいても、「裁判官の間の俸給格差が英米以上に僅少なことが、ここでの特徴である」(下村幸雄「法曹一元制について」法社会学 44 号(1992)所収)とのことである。

(ウ) 諸外国の状況
諸外国でも、事実上、転所が強制されることは裁判官の独立性を危うくするものと考えられている。裁判官の転所しない自由が強固に保障されている。キャリア制度をとるドイツやフランスでも、異動は本人の応募により他所やポストを希望するときのみに行われるとされている。応募制であれば、本人の自主的意思が尊重され、裁判官の独立を害するおそれはない。日本でも応募制にすべきである。
(イ) 現状の問題点
法律上、裁判官は、その意思に反して転所させられることはない(裁判所法第 48条)。しかし、現実には、この条文によって転任を拒否することはほとんどない。裁判官は、ほぼ 3年に 1度の頻度で全国を異動している。希望の多い東京や大阪などの大規模庁に入るときには、一定の経験年数までは「何年後に、最高裁判所の指定する庁に異動する」との一筆を裁判官から出させていることを、最高裁判所も平成 12 7 31 日付書面で認めている。転任の内示に際し、家族の事情からやむなく転所の自由を主張したらところ、「転任の自由を主張した裁判官は一人もいない。どうしても主張するならば、後任も決まっているから官舎を開けてほしい、事務分配もしない」と言われたという例(大塚喜一「刑事弁護士としての私」『日本の刑事裁判』(現代人文社、1998198頁)まである。裁判官全体が当然のように異動する。裁判官は、毎年、「裁判官第2カード」を提出して転任についての意見を聞かれる。この状況下では、自分だけが1か所または近隣の通勤可能な範囲の裁判所に居続けることは極めて困難である。しかも、これらの転任は最高裁判所裁判官会議が開かれる前に、事務総局や高等裁判所によって作られた原案を内示して承諾を得る形で行われている(平成 12 7 31 日付および同年 10 30 日付「司法制度改革審議会からの質問に対する回答」)。かくして転所拒否の自由は形骸化されている。10 年後にどこにいるかを自ら決められない生活―その不安定さは、“身分保障”が名ばかりのものになっていることを示している。裁判官の目が、市民や地域にではなく、裁判所内の処遇に向きがちになる原因になっている。もとより裁判の利用者にとってもこれは好ましくない事態である。担当裁判官が原則 3 年ごとに異動し、かつ同じ庁内でも部が玉突き式に変わる結果、事件途中での裁判官交替が多くなり、訴訟遅延の原因の一つとされている。それが直接主義に反するのはいうまでもない。

補職・配置の改革―公募制・応募制への転換―
(ア)応募制の採用
  裁判官の人事評価を人事の具体的場面で使用する場合に、重要な問題となるのは、裁判官の補職・配置である。これについては、応募制を採用するべきである。
 応募制とは、補職・配置先の職務、地域を予め明示した上で希望者を募集し、募集に応じた者の中から「裁判官推薦委員会」が適任者を選び、最高裁判所に推薦する補職・配置制度である。
 応募制を採用する意義は、以下のとおりである。
 第1に、それは裁判官の自律性を高める機能を有する。
応募制では、裁判官は応募しない限り元の場所にとどまることになる。これは異動を望まない者がその場にとどまることができるという意味で、後述のように、裁判官の独立を実質的に保障するが、他方、異動を望む裁判官は、そのために自ら能動的に行動する必要がある。異動を望む裁判官は、他の候補者と透明で公正な競争をした上で所期の異動を求めていくことになる。裁判官は、自らの資質・能力を最も生かす補職・配置先は何かを考え、裁判官としてのあり方にかかわる自己点検を行うことになる。異動に関し、裁判官に自律した能動的発想が求められることになる。
このような精神活動の能動性は、裁判官が真に独立して積極的にその職務を行うための基盤となるものである。
第2に、それは裁判所にとって補職・配置理念の転換となる。
これまでの補職・配置は、最高裁判所事務総局人事局に集約された情報に基づいて決定されており、いわば裁判所内部の上下の関係であった。応募制の理念は、いわば広く人材を求めて、裁判所を、開かれた活力あるものにしようというものである。応募者は、果たして自己の執務する場として魅力的なものであるかどうか、という観点から裁判所を見ることになる。裁判所は、そのような視線にさらされることにより、自らをより魅力的なものに変革する必要に迫られることになる。
第3に、それは裁判官の独立性を実質的に保障するものである。
応募制では新たな補職・配置を定める場合に、それを希望する者(応募者)だけがその対象となるという意味で、意に反する異動を排し、補職・配置を介しての人事権者の恣意的な管理を排する。補職・配置の手続の主導権が、司法行政担当部署から個々の裁判官らに移る。
応募制をとりながら、選考過程が少数の人による不透明・恣意的な決定によるのでは、裁判官の独立性は実質的には保障されない。ここにいう応募制の下では、市民も参加した下級裁判所裁判官選考委員会が客観的な基準と応募者に関する豊富な資料に基づき実質的な選考を行って補職・配置先を決めることになる。応募制とこのような選考手続が相まって、裁判官の独立が実質的に保障される。
第4に、それは適任者を得ることにつながる。
応募制によって意欲のある者が応募する。それら応募者の透明・公正な競争を通じて、その地位に最も相応しい裁判官が選考されることとなる。
第5に、それは地方分権に資するものである。
任地等を明示した応募制をとることで、当該地域で裁判官として働きたいとの意欲をもった者が着任することになる。
また、当該地域ブロックの下級裁判所裁判官推薦委員会が地域の実情に合った裁判官を選任することにより、地域に根ざした裁判官を得ることができる。


附属書類: 証拠説明書

以上

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