2014年3月4日火曜日

裁判事の独立を侵す判検交流、訟務検事

宮崎地方裁判所の行政訴訟を担当している、内藤裕之判事、裁判長は、平成9年4月から12年3月まで、広島法務局訟務部付検事、平成18年4月から21年3月まで東京法務局訟務部付検事でした。國と地方公共団体の弁護人でした。

五  裁判官が事件について当事者の代理人又は補佐人であるとき、又はあったとき。

なので除斥理由になります。
* 経歴

* 訟務部付検事として

--------------   人権の法制度に関する基本的課題
1872年(明治5年)に日本で最初につくられた「壬申戸籍」は、皇族から平民まで身分ごとに分けて戸籍を編成し、その中で被差別部落の出身者には、「新平民」などといった特殊な記載が行われました。現在では、この壬申戸籍は閲覧できませんが、もともと戸籍は家だけでなく、身分で国民を分別し、管理しようとするためのものでもあったのです。こうした歴史を考えれば、戸籍制度を抜本的に改め、諸外国のように、出生、婚姻、死亡などをそれぞれ個人単位で登録する制度に切り替えていくべきでしょう。
  これらに加えて、わたしたちの提言では、人権救済を困難にしている行政及び司法上の制度や慣行の修正・変更も求めています。行政上の制度・慣行としては、縦割り行政がその最たるものといえます。どこの国にも行政の縦割り化やセクショナリズムは存在しますが、日本ではその弊害が顕著です。
  例えば、法務省には人権救済を担当する部局として、人権擁護局が存在しますが、縦割り行政の中にあっては、人権擁護局といえどもすべて人権問題に関与することはできません。労働者の人権は厚生労働省、労働者の中でも船員の人権は国土交通省、教育現場における人権問題は文部科学省といった具合に、管轄の区分けが厳然として存在し、その境界線を越えることはできない慣行になっています。しかし、こうしたことをしていては、人権侵害や差別を受けた人びとに実効的な救済を行うことはできません。効果的な人権行政を行っていくためには、省庁の垣根を排し、互いに連携をとっていくことが不可欠です。
  同じように、司法についても、人権救済を阻害するような法制度や慣行が存在します。原則として裁判は、当事者の訴えに基づいて行われますが、人権侵害や差別を受けた人びとは社会的弱者である場合が多く、裁判を起こすのには多くの負担が伴います。こうした司法制度の在り方を変えなければ、裁判所は人権侵害や差別を受けた人びとの前に壁をつくってしまうことになります。
  また、判検交流や訟務検事の制度も人権救済という面から見た場合、問題が多いといえます。判検交流とは、裁判官と検事の人事交流のことですが、こうした人事交流が頻繁に行われれば、裁判官と検事の間に一種の仲間意識が生まれ、裁判官の独立性を損なうことになります。そして、そのことが、裁判官を社会的マイノリティである人びとから遠ざけてしまうことになるのです。この弊害は、訟務検事の制度に端的に表れます。訟務検事とは、国と国民が裁判で争う際に、国側の代理人となる検事のことですが、この役割を判検交流で検事となった裁判官が担うことが多いのです。訟務検事となった裁判官は、国民と対峙して、国民の訴えを斥けることに努力します。そうした経験を経た裁判官が、再び裁判官としての職務に戻ったとき、国の人権侵害を訴える国民の声に虚心坦懐に耳を傾けることができるでしょうか。どうしても疑問が残ります。
  近年、司法制度改革や行政改革が叫ばれ、裁判員制度など様々な新しい制度が導入されましたが、人権救済という観点から見た場合、状況を好転させるような改革はなされていないように思われます。私たちは、人権の視点に立った行政改革や司法制度改革が必要であると考えています。そのためには、人権救済を困難にしている行政及び司法上の法制度や慣行を洗い出し、必要な修正・変更を行うことが不可欠です。

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法務大臣閣議後記者会見の概要

平成24年5月8日(火)

 本日の閣議において法務省案件はございませんでした。
 法務省から一つの報告をさせていただきます。裁判官が一時検察官をやってまた裁判所に戻る,あるいは検察官が一時裁判官をやってまた検察官に戻るという,いわゆる判検交流という人事交流がありました。これについて,特に判検交流によって裁判の公正が害されたということではありませんが,裁判官と検事の間で少し癒着しているのではないかというような声もありました。特にそういった弊害が生じたわけではありませんが,そういった声があることや公正らしさというものを保つ必要があるという観点もございますので,今年4月の人事をもちまして検察官と裁判官とのいわゆる判検交流は廃止しました。また,判検交流につきましては,これまで民主党の「検察のあり方検討ワーキングチーム」での提案や法務委員会において指摘されてきたことでもございますので,そうした声も受け止めたわけでございます。

判検交流の廃止に関する質疑について

【記者】
 廃止されたのは,裁判官が検察庁の検察官になったり,検察官が刑事事件の裁判官になったりするもので,民事とか行政分野については,人事交流が続いているという理解でよろしいでしょうか。
【大臣】
 そうです。検察庁で捜査・公判を担当することと,裁判所で裁判を担当するという意味での交流は廃止したということで,法務省の民事局等の行政分野につきましては,やはり裁判官のお力も借りなくてはならないという部分がありますので,それは継続しており,今回の廃止の対象ではありません。 

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衆議院法務委員会 第4号 平成22年3月12日(金曜日)


 判検交流というのは、御存じのように、裁判官と検察官が行ったり来たりする話なんですけれども、最高裁から見れば、法務省の方へ出向する、こういうことになるわけですが、最高裁の方に伺いますが、ことしの判検交流の実態、訟務検事、そのうちどのくらいいるか等、実態をお聞かせください。

大谷最高裁判所長官代理者 最高裁の方から出向しているということでの数を私の方から申し上げたいと思いますけれども、本年度で申しますと、法務省に出向した裁判官の数が全部で二十九名ということでございます。

中島(政)委員 両方合わせると五十名以上になっているということだと思うんですね。

 これは、私が調べましたら、昭和二十年、三十年代というのはほとんど一人、二人ですよ。それが、三十年代、四十年代、だんだんふえていって、それでも一けただった。それが、四十年代の後半になりますと二けたになるんですね。どんどんふえていきまして、二けたも、十人が二十人、二十人が三十人、三十人が四十人となって、去年あたり、判検交流は五十六、七人だったと思うんですけれども、あっという間にふえちゃった。

 ふえ出したのが昭和四十年代の後半、五十年前後なんですけれども、この時期にどうして判検交流がふえ出したのか、教えてください。

大谷最高裁判所長官代理者 いわゆる判検交流につきまして、これを定めた何か根拠規定のようなものはございません。

 今お尋ねの点ですけれども、こういった法曹間の人材の相互交流というのは相当以前から行われていたものと思っておりますが、その交流が開始された具体的時期等につきましては資料がございません。申しわけございません。その点についてはお答えしかねるというところでございます。

中島(政)委員 おかしな話なんですね。

 昭和二十二年に戦前の裁判所構成法が改正になりまして、裁判所法と検察庁法に分かれたわけですよ。そのときの立法の趣旨というのは司法と行政とを分けるという趣旨であったので、だから、二十年代には判検交流なんかなかった。四十年代後半になってふえてきたわけですね。国を相手にした訴訟がふえてきたりなんかして、民事に強い検事がいないので裁判官から補充するというようなことだったらしいですけれども。

 それにしても、こんな三権分立の基本にかかわることなので何か根拠があるんだろうと思って、私もいろいろ調べてみました。最高裁から規則集も借りて、こんな厚いのをよく見てみましたけれども、どこにも書いていない。こうした大事な問題がいつ始まったのか、何を根拠にしてやっているのか、全然わからぬと。まことにおかしな話だと思うんですね。

 新聞等で探してみますと、昭和四十年代の後半、四十九年ぐらいの新聞だったですかね、そのときに訟務検事の必要性がふえてきたので、法務省の方から裁判所に要請があって、最高裁と法務省が話して、三年したら戻ってくる、そういう細かいことまで決めて、この交流が拡大したという報道を見かけました。ただ、その報道を裏づけるような、役所側のあるいは裁判所側の資料とか覚書というようなものはないんですよ。

 では、これは口約束でこの交流というのはやっているんですか。最高裁にお聞きします。

大谷最高裁判所長官代理者 大変申しわけございません。先ほど申しましたように、その当時のことについて、私どもではちょっとつまびらかにできないということをお許しいただきたいと思います。

中島(政)委員 これは戦後、憲法ができて、司法権と行政権と分かれて、それぞれしっかりやっていくということですよね。三権分立になったわけですよ。戦前は、これは皆さん御承知のように、検事も裁判所も一緒だった、司法省の中にあった。司法省の中に裁判所もあり検事局もあった。これを、新憲法ができる過程で、戦後改革で分けた。この三権分立という日本の国の基本にかかわることだと思うんですね。

 戦前のように、知らない間に判検交流が何十人もふえていって、判事と検事が行ったり来たりしている、こういう状況なのに、何もないんですか、これについて。法務省と最高裁で話し合った文書とか、あるいは最高裁の中で裁判官会議で決めたとか、何かあるでしょう。ないんですか。何もないんですか。見つからないんですか。最高裁に聞きます。

大谷最高裁判所長官代理者 御質問の点については、特にございません。(発言する者あり)

中島(政)委員 これはまたおかしな話で、私も与党ですからね、野党だったら声を大きくしなきゃいけないところなんですけれども。

 しかし、これは大事な問題だと思うんですね。裁判所と法務省と、これは普通の役所じゃないでしょう。外務省から経産省に出向するというような話じゃないですよね、これは三権で別になっているわけですから。

 これは、行き来するについて口約束ですか。法務省の方から、国を相手にする訴訟が多くなって民事がわかる人がいないからちょっと検察に人を出してくれよと裁判所に頼んで、はいそうですかと、こうやって裁判所がこたえたのか。こんな口約束で三権のうちの二権の人のやりとりをやっていていいものなんですかね。

 私は、これは法治国家として、また憲法の建前からいって、まことにおかしな話だなと思いますね。

 法務大臣にもこの件はお伺いしたいと思うんです。

 本委員会でも、かつて南野法務大臣のときだったかな、我が党の枝野委員が、判検交流、特に検事の問題、裁判官が検事になっている、こういう問題について批判的な立場から、南野法務大臣と枝野さんが論争したことがございました。

 私も、どちらかというと、この判検交流に批判的ですし、批判的よりも何よりも、判検交流をやる、両者で人が行き来するということをいつだれが決めたのかわからない、そうした文書もない、なし崩し的にだらだら行われている。まことにおかしな事態だというふうに思います。

 新政権になったわけですけれども、この問題について、法務大臣、どのようにお考えになりますか。是非も含めて、また今後どうするかというようなこと、お考えがありましたら、お聞かせをいただきたいと思います。

千葉国務大臣 中島委員から御指摘をいただきまして、私も改めてこの問題について思い起こしているところでございます。

 実は、私も、従来、判検交流ということを、本当にどうなのだろうかと、いろいろなことを考えたりしたことがあることも事実でございます。

 根拠が確かにはっきりしていないということがございまして、例えば裁判所法では、裁判官に、判事補、簡易裁判所判事、検察官あるいは弁護士、裁判所調査官等々などから採用することができるというようなことはあるのですけれども、行ったり来たりをするということが本当に根拠がどういうことになるのかということを、私ももう一度きちっと検証させていただきたいというふうに思っております。

 また、とりわけ、裁判官と検事の交流の際に、訟務について裁判官がつく、そしてまた裁判官に戻られるということが、さまざまな、やはり三権分立や、あるいは原告、被告がすぐ入れかわってしまうのではないか、こういう大変疑念ももたらすところではないだろうか。こんなことを私も認識いたしております。

 こういうことも含めて、御指摘をいただいたこういう機会に、また改めて、さまざまな取り組み、あるいはまた御提起をいただいて、検証をしていきたいというふうに思っております。

中島(政)委員 今、裁判所法の話が出ましたけれども、裁判所法にも検察庁法にも、こういう人が検事になれます、裁判官になれますと、それぞれ資格は決めてあります。それは、こういう人がなれるというのを決めてあるだけで、行ったり来たりしていいということは決まっていないわけでございます。

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中島(政)委員 裁判官や検事さんがいろいろな経験をされることは大事だと思いますよ。ただ、さっきから言っているように、それならそれで法律でちゃんと決めた方がいい。法律がだめだったら裁判所規則でもいいし、政令でもいいし、ちゃんと決めなきゃだめですよ。これはほかの省庁、外務省と経産省を行ったり来たりする話と違いますから、司法、行政、立法の三権分立の基本にかかわることですね。

 ですから、それぞれの役所で、法務省は法務省でこの件について話して大臣が決める、最高裁は裁判官会議で決めて、法務省と裁判所で公式に話し合って、覚書でも何でも取り交わして、立法府にもかかわることですから国会にも御報告いただいて、それで進めるべき問題だと思います。なし崩し的に、一人、二人だったのを出向者が何十人にもふえる、こんなことは法治国家としておかしいし、法律の番人である最高裁としてみっともない話だと思いますから、よく根拠を考えてもらって対応していただきたいと思います。

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