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裁判官制度の改革について[その2]
オ当該機関の審査の対象となる判事の候補者を、公募によることとするか否か
(判事の給源の在り方とも関連)(③ホ関係)判事になろうとする者は、赴任を希望する地域をその管轄とする高等裁判所所在地に設置されている委員会に申し込み、委員会の審査を受ける。判事の給源に現在のような判事補が含まれる場合も、他の給源からの場合も同様である。また、判事補の任
命の際も同様とすべきである。
高い資質・能力の裁判官を得るためには、広く社会にその候補者を求めるべきである。これが公募制である。法曹一元制度のアメリカの各州はもとより、イギリス(裁判官の大部分)、キャリア制度をとるドイツの各州、法曹一元的制度とキャリア制度が併存するベルギー、オランダなどはいずれも公募制である。
公募制は、個々の裁判官の意思を尊重してその責任感を醸成するとともに、その主体的な行動と転任しない自由を保障し、裁判官の独立を実質的に確保しようとするものである。
ア裁判官の独立の意義
「法の下においてはいかなる者も平等、対等であるという法の支配の理念は、すべての国民を平等・対等の地位に置き、公平な第三者が適正な手続を経て公正かつ透明なルール、原理に基づいて判断を示すという司法の在り方において最も顕著に現れていると言える。それは、ただ一人の声であっても、真摯に語られる正義の言葉には、真剣に耳が傾けられなければならない、そして、そのことは、我々国民一人ひとりにとって、かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇りに関わる問題であるという、憲法の最も基礎的原理である個人の尊重原理に直接つらなるものである。」(「中間報告」2、(2))
「ただ一人の声であっても、真摯に語られる正義の言葉には、真剣に耳が傾けられなければならない」。そのような司法のあり方を保障するのが、裁判官の独立である。裁判官が、「その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(憲法第76 条第 3項)こと、つまり、外部からの干渉や「憲法及び法律」を離れた自らの主観的判断に左右されることなく、事実と法のみに基づいて判断を下すことが保障されてこそ、「ただ一人」の「正義の言葉」も活かされ得るのである。裁判官の職権行使が裁判所の外や裁判所内部での干渉や圧力によって左右されるようなことになれば、「ただ一人」の「正義の言葉」に「耳が傾けられ」ることは不可能となる。「かけがえのない人生を懸命に生きる一個の人間としての尊厳と誇り」、あるいは「個人の尊重原理」は、その下において存立する。つとに指摘されているように、裁判官の独立なくして真の自由はなく、また、自由、すなわち「個人の尊厳」、「個人の尊重」なくして民主主義は存続し得ない。+
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