2014年3月13日木曜日

気軽な行政争訟 訟務制度にみる公共性と法治主義

訟務制度にみる公共性と法治主義

「日本においては裁判の入り口での訴訟要件の具備が被告との間でしばしば問題となり却下判決も多いことを述べると、明者州の唯一の公益代理人フリークアウフは、裁判所の指示義務の重要性を指摘したのち、
「あなたの国では、ほとんどローマ法が支配しているのですね。:::わが国は、法治国家であるばかりでなく、救済国家です」という。彼の行政訴訟実務に関する概説書は、およそ日本では想像することも不可能なほど市民の立場にたって書かれている。行政機関や裁判所のなすべきことを具体的に説き、仮の権利保護の手続き、弁護士費用や訴訟費用扶助などにも言及してある。保守単独政権の同州であるが、司法省事務次官の推薦文が付されている。行政訴訟法の著名なテキストに比べてはるかにリアルに行政訴訟の実務を学ぶことができる。行政裁判官や行政実務家によって書かれたこの種のテキストには市民のための公僕意識に基づくものが多い。

現在のドイツの学校教育においては、徹底して個人としての意見をもつように指導される。とりわけ多くの州の大学教育や司法修習では、〈私〉を主語にした公文書を書く訓練を受ける[ドイツで開業する日本人弁護士・関盛人]。一般に、南ドイツ以外の州では大臣、知事、郡長など擬人化された官庁名で行政決定が行われていたことに由来して、〈私〉を主語にした公文書を書くのが一般的である。これに対して、南ドイツでは省、県庁、郡庁が決定するという仕方をとっていたこともあって、〈私〉を主語にする公文書を一般化する努力が最近ではあるが、目下のところは妥協形態として〈私たちは〉を主語とする公文書が広く用いられている(H(上級行政裁判所裁判官)。訟務検事の仕事も匿名の官僚機構の中においてではなく目に見える個人の仕事として行われるが、これはドイツの公務一般の職務スタイルの一例にすぎないともいえる。」」

(ハ)気軽な行政争訟
わが国においては市民や企業による不服審査請求や行政訴訟の提起を未然に防がなければ関係公務員は出世を妨げられることがある。またこれらが提起されると行政組織は莫大な手聞をとられる。もし、日常から法に従って仕事(行政)が行われておれば、争訟への対応もさほど困難ではないと考えられるが、実務はそうなっていない。
他方、ドイツにおいては弁護士一人で原子力発電所の運転停止を命ずる最高裁判決を得たケlスがある料、対する行政側も法廷では一般に一人または少数の代理人で日本ほどの組織的対応はない。これを職権探知主義の審理構造だけで説明することはできないように思われる。そもそも争訟は気軽なものであって、そのことは人口を同一とすると日本の700倍から800倍もの行政系訴訟が提起されることからも知ることができる。わが国では100万都市でも年に数件を数えるにすぎないこともある行政不服審査であるが、ドイツでは統計の出しょうがないほど多い。種々の面で争訟を提起しやすい構造になっている。訟務制度の考察にあたって参考になる気軽な争訟を三つの場面に分けて見ておきたい。

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